あなたはMASKというバンドをご存じだろうか。誕生してから、今年で15年になる。第一期MASKのヴォーカルとして暴れていたのが、葵(葵-168-)。第二期MASKのヴォーカルとして華やいでいたのが尽(HERO)だった。バンドは2006年5月1日 Zepp Tokyoにて卒業(解散)。その10年後にあたる2016年5月1日 Zepp Tokyoに第一期/第二期MASKともに復活。その後、年に一度集まっては同窓会的にライブ活動を続けてきた。
先にも触れたように、今年は第一期MASKの誕生から数えて15年目にあたる年。本当ならMASKの15周年を華々しく祝おうと彼らは動き出そうとしていた。が、リーダーの未散を襲った突然のアクシデントにより、今年の活動は休止となった。いや、それどころか、一歩間違えば、もう二度とMASKの姿を観ることは出来なかったかもしれない。
MASK解散以降、V系アーティストのプロデューサーとして活躍し続けてきた未散だが、今年3月に彼は突然の病に倒れ、意識を失くしたまま3日間生死の境目を彷徨っていた。当時のことを彼は、以下のように語ってくれた。インタヴュー形式でお届けしたい。
--一時は生死を彷徨うほどの大病を患いながらも、今は社会に復帰。未散さんが病床にふしたのは、いつ頃だったのでしょうか?
未散:3月5日に自分の誕生日を迎え、その一週間後に僕が関わっているアーティストの大阪公演へ帯同したときのことなんですけど。夜中にホテルで、突然、背中がバキッと音を立てました。そのときは、身体を変にねじってしまったことからかな??と思っていたんですけど。その痛みが引かず、東京へ戻ってから医者へ治療のために足を運んだのですが、どこの病院へ行っても病気の理由がわからないと。でも、症状はどんどん悪化してゆく。このままではらちがあかないことから、病気の発症から一週間後に、身体をしっかり見てもらおうと総合病院へ行きました。そこで見てもらうとなったとたんに身体中へ激痛が走り、動けなくなり、その場にうずくまってしまいました。
僕はそこで完全に意識を失ってしまったのですが。お医者さんから後で聞いたところ、「症状を調べたら、心臓が血の海になっていたように、生死を彷徨う状態だった。」
--そんなにも大変な状態だったとは?
未散: 僕の病気はなかなか見つかりにくい病魔であり、治療難度の高いもの。僕が倒れた時点で、すでに生きるか死ぬかの瀬戸際状態だったと。手術は成功したとしても、目覚めることがなければずっとこのままの状態になる場合も・・・。でも意識の中では、生きる!!!ともがいてましたね。
--未散さん自身、そのときはまったく意識もない状態??
未散:真っ暗闇の中を、ズーッと降りれない列車に乗り続けていましたね。その車両にはMASK、HEROやアンティック-珈琲店-のメンバー、親密なスタッフなどが乗ってくるんですよ。でも僕は、彼らに触れることも、しゃべることも出来ない。そんな風に暗闇を彷徨ってた臨死体験が続いてたんですよね。
そして、目覚めたときの僕は、口には酸素マスクをしているし、身体中に管を這わせていれば、心電図を横に置いている状態。まったくしゃべれないし動けない。だって、集中治療室にいたわけですからね。
--その入院期間中に、改めて自分の人生を考え直す機会を持ったのでしょうか?
未散:僕自身がライブが出来ないどころか、日常生活さえままならない身体へ陥ってしまった。集中治療室を出て間もなくしてから面会が可能になりましたが、嬉しかったのが、それを待ってたかのようにMASKのメンバーたちがお見舞いに来てくれたこと。その姿を見たときに、そんなに活動期間も長くないバンドだったにも関わらず、こうやって自分のために集まってくれたことへ凄い絆を感じました。尽くんなんか、僕が生死を彷徨っている頃、「未散さん、電話してもまったく出てくれないよ」と泣きながら騒いでたなんて話まで後で聞きましたからね。そんな彼らの想いに心を打たれ、もう一度MASKとしてステージに立ちたいという野望と目標が生まれました。もしかしたら死んでたはずなのに、こうやって生かされたということは、「ここから第二の人生を歩め!」ということかなと自分でも思ってて。
入院中は、未散が関わったミュージシャンや仲間たちが病院へ足を運び、彼の回復を願っていた。「これからも音楽を軸として生きてく」と強く決意を抱いたのも、MASKのメンバーたちとの病床での再会が大きかった。彼は、当時の様子や心境について、こんな風に語ってくれた。
未散:約3ヶ月の間、病院、その後にはリハビリ病院へ入院。まずは、日常に復帰するための治療を病院内で施していました。あの時期は、本当につらかったですね。でも、それを支えたのが、ステージに復帰しようという気持ち。
リハビリの病院へ移ってからは、病室にギターを持ち込んでズッと演奏をしていました。幸い指は思ってた以上に動けば、マヒが残ることもなかったので、そこはひと安心でした。身体も病気でリセットされ20kg痩せたので、バンド活動を始めた頃の体型に戻れば、身体も精神もすっかり研ぎ澄まされた気分です。ただ、一気に体力が落ちたので、今は少しずつ体力を回復させている状態です。といっても、すでに仕事にも復帰しているように、日常生活を送るには差し支えないのですが、さすがにステージへ上がって演奏するまでの体力は、今はまだ足りてない状態です。それよりも、改めて今回の経験をきっかけに仲間の大切さを感じましたからね。
--だからこそ、MASKとしてステージに復帰したかったし、そのために” 生還"する日を決めたわけだ。
未散:そうなんです。メンバーらも、僕の誕生日に近い日が良いんじゃないかということで、2019年3月3日にTSUTAYA O-EASTを押さえて、その日にもう一度MASKとして舞台へ立とうと決めました。この日のタイトルが「生還祭-2019-」。これは尽くんが付けてくれたんです。まさに、MASKの未散がステージに”生還"する日。本当に生きるか死ぬかの、3割しか助かる人がいないと言われてる病気からの”生還"。もしかしたら今、ここにはいなかったかも知れないわけですからね。
今は社会に復帰しているように、日常生活へ支障はないくらいまでに体調は戻れたとはいえ、体力は今でもだいぶ落ちているように、2019年3月3日に、第一期MASKと第二期MASK、2ステージを行う予定なので、本当に身体が持つのかが心配なんですよ。
自ら生死を彷徨ったからこそ、「生きる!!!」ことに喜びを覚えれば、「再びミュージシャンとして舞台へ立つために。何より、自分を頼ってくれる仲間たちのために力を注ぐ使命感を持って自分は生かされたんだ!」という決意と意志を、未散は心に抱いている。正直、今も治療を続けているように、何時また身体が病魔に侵されるかはわからない。でも、未散には「生きる理由」がある。だからこそ必死で「生きる!!!」ことへ食らいつきながら、少し先へ掲げた実現すべき夢であり目標へ向かい、日々努力を重ねている。再び、未散の言葉をお届けしたい!
--今回の経験は、未散さんの考え方にいろんな影響を与えたんですね。
未散:生きる大切さを知ったというのかな。これから何度ステージに立てるか、何時最後が訪れるかは正直自分でもわからない。だったら、伝える機会を持てる以上は生きてるうちに伝えていきたいなと思ってるし、MASKのメンバーらとの絆を失くしたくはないです。MASKのライブを行えること事態、決して当たり前のことじゃないぞ!と自分でも感じているように、本当に一回一回のライブを大切にしていこうと思っています。
--3月3日の「生還祭-2019-」もどうなるかわからないこと。ただ、未散さん自身の生きる目標が明確に見え方たことは大きいですよね。
未散:そうですね。生きてる重みは、これからの活動を通してしっかり伝えていこうと思ってるし、生きてる凄さ、生きる大切さ。それをみんなにも感じ取って欲しい。その気持ちは余計に強くなりましたよね。
--最後に、メッセージをお願いできますか?
未散:本当に命の大切さを伝えたいんです。なぜなら、生きていなかったら追悼ライブになっていましたからね。今の僕には、一回一回が本当に生きるためのライブ。
これはまだ計画中のことですが、過去の音源のリテイクをしようかという話も出ているように、当日の公演に足を運んでくれるファンの人たちが喜んでくれることも何かしら行いたいですね。その辺りを考慮したことをやっていこうと思っています。
「生きる!!!」ことの答えをつかんだ未散。一度失くしかけた命だからこそ、自らそれを放棄することもなければ、安易に弱さへ寄り添おうともしていない。誰のために、何のために生きるのか、それを未散は証明しようとしている。
2019年3月3日、TSUTAYA O-EASTの舞台上に、未散がどんな想いを胸に立っているのか。その答えは、かならず彼がギターの音を通して。MASKという彼自身の人生を投影したバンドを通し、示してくれるはずだ。
TEXT:長澤智典
MASK twitter
https://twitter.com/mask20160501
★LIVE情報★
2019年3月3日(日)
TSUTAYA O-EAST
MASK
15th ANNIVERSARY YEAR LIVE
「生還祭-2019-」
[出演]
・MASK(JIN+SANA+MICHIRU+KAZUTAKE+MINA
MI)
・MASK(AOI+SANA+MICHIRU+KAZUTAKE+NANA
)
★情報は、10/10(水)22:00解禁予定!!
(問)チッタワークス/TEL:044-276-8841(平日12:00〜19:00)